新型コロナ対策 【その2】 感染とマスク再利用
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2020年3月12日
<【その1】 【その2】 【その3】> pdfファイルで読む 佐藤千史

新型コロナ騒動は人災である。それぞれの専門家が異なった意見を述べ、それに振り回されたマスコミと行政が不安を煽ってきた。3月9日朝のNHKニュースの和久田アナウンサーの横に面白いイラストが出ていた。安倍首相を中心に野党党首が円陣を組んで相談をしており、窓の外には怖そうなウイルス悪魔が集まっているという図である。まさにクルーズ船のパーティーや屋形船と同じ構図である。ウイルスは既に部屋の中にいるなどとは考えていないのである。新型コロナは安倍首相がマスクをするまで収束しないし、給付金もよいが、その前にマスクを配布すべきである。マスクは感染しないためではなく、感染させないためであり、再利用すればよいのである。

感染経路について・・・飛沫感染・エアロゾル感染そして空気感染
疫学的にみれば新型コロナは飛沫感染・エアロゾル感染で広がっている。空気感染するという感染症専門家もいるが否定はしない。最新のニュースでニューイングランド ジャーナル オブ メディシンに空気感染が証明されたとの記事が掲載された。要するに空気中に3時間停滞していたそうである。ウイルス専門学者にとってはそれでよい。しかし、今重要なのは主にどのような経路で感染が広がっていて、どのような経路を遮断したら効果的なのかという感染疫学の問題なのであって、空気感染しうるか否かではない。閉鎖空間が強調されているが、屋形船、クルーズ船パーティー、介護、親子、知人、全て相手に手の届く距離でマスクをしていない相手と顔を向かい合わせた状況で飛沫感染しているのである。医療現場でも医療者がマスクをしていても患者はマスクをしていないのである。母親同士の感染は青空の下である。しかしマスクなしで対面して立ち話しているのである。空港内でも列車内でも拡散していない。前向きのクラシックコンサートではなくライブハウス、観光バスでも客と対面したはずの運転手が感染したのであって内部拡散はしていない。
エアロゾル感染が中国であったとか、なかったとかいう記事が一時マスコミに出たことがある。エアロゾル感染の定義はどうでも良いのであって、くしゃみや咳でしぶきが飛べば風に流されて数メートル先に広がることがあるので、飛沫感染の延長として感染源になりうると考えればよい。霧吹きを噴霧すると細かな霧が流れていくのが見える。NHKが特殊撮影したマイクロ飛沫なるものも大同小異である。ライブハウスでも似たような現象があったと考えられる。撥水スプレーを室内で使ってはいけないというのと同じことである。いわゆるクラスター感染もそのようにして広がっている。空気感染については有名な論文がある。航空機内で結核が集団発生した。発端となった患者より前方に座っていた人たちが感染し、後方では発生がなかった。航空機内の空調は後方から前方に流れていた・・というものであり、ニューイングランド ジャーナル オブ メディシンに掲載されている。狭い空間では、もちろん閉鎖空間では尚更、リスクが高いという点では似たようなものであり、窓を開けようというのも合理的であるが、青空の下であっても感染しているのである。新型コロナの場合も同時的・同所的には気流の流れに注意するという点では同じであるが、空気感染と違って時間を隔てれば殆ど感染がみられていない。

感染経路について・・・接触感染
新型コロナ予防に手洗いをしましょうと誰もが言っているが、新型コロナ予防に手洗い・アルコール消毒が有効であるという科学的根拠はどこにあるのか。アルコール消毒で手のウイルスは死ぬし、手から口への経路は遮断される。しかしそれと感染防止としての効果がどれだけあるのかということは別である。これまでの感染には飛沫が存在しているのである。昔から食中毒予防に手を洗いましょうと言われてきたが、殆どの食中毒は食物から感染するのであって、手洗いをしなかったからではない(調理人や感染児家族は別)。O-157騒動の時は子どもに手洗いを嫌いにさせただけであった。新型コロナについては専門家でも知らないはずだし、多分、インフルエンザには手洗いが有効だということからの類推ではないかと思われる。
2005年に京都府立医科大学の里村氏らが風邪に対するうがいの効果を検証して米国予防医学雑誌に発表した時に、論文では述べられていないが、うがいは風邪を予防するもののインフルエンザ様症状の発現に差がなかった。それ以来、インフルエンザ予防対策としてうがい以外のこと、多分手洗いとマスクが重要であることを産業医講習会や社会人大学院で繰り返し述べてきた。今、新型コロナ対策に手洗いをしなくて良いと言っているわけではなく、個々人の感染確率を低下させる可能性のあることはすべきである。アルコールでなくても石鹸で十分である。ただ、ここでは科学的根拠について専門家でも分かっていないはずであるということと、集団における感染拡大は飛沫の防止に最重点をおくべきであるということを明らかにしたいのである。
 なお、眼から感染するという経路が指摘されているが、涙は涙管を通って鼻に入るので、眼に入ったウイルスはすぐに鼻腔に到達する。眼鏡やゴーグルなどで眼からの感染を防ぐことは必要だが、これも基本的には飛沫感染である。

感染防御について・・・マスク
 WHOがとんでもないことを言っている。マスクは感染予防にはならないので皆がする必要はない、感染した人が人に感染させないためのものであると。その後は「検査、検査、検査」だそうである。確かにマスクが感染予防になるとのエビデンスはないが、新型コロナの特徴が少しずつ明らかになってきたところで、専門機関がこのようなメッセージを流すなど正気の沙汰ではない。言うべきは「マスク、マスク、マスク」ではないか。多くの専門医も似たようなものである。今、集団に求められているのは自分が感染しないようにすることではなく、人に感染させないようにすることであるということが分かっていない。

マスクの意義
新型コロナは潜伏期間が長く2週間のこともあることが分かってきた。症状のない感染者がいることも分かってきた。更には治癒したと思われて人にウイルスが再出現したという情報もある。つまり症状がなく悪気はなくてもウイルスをまき散らしている人がいるということである。カナダ首相夫人が感染していたし、ブラジル大統領も感染していた。ウイルスを知らずに拡散している人がいるのである。それは元気にしているあなたかも知れない。あなたは新型コロナに既に感染していて感染源になっているかも知れない。さてどうするか。人に感染させないように感染防止策をとる必要がある。集団における感染の広がりを押さえ込むためには一人一人が感染者であるかも知れないとの意識を持って他人に感染させないように注意することが重要なのである。マスクである。
本来は閑散とした町中や公園でマスクなどする必要はない。感染拡大を防ぐには元気で声を張り上げている感染者がマスクをすれば良いのである。でも元気で声を張り上げている感染者に限ってマスクをしないというのが世の常である。「私は元気で新型コロナにかかっていないのでマスクをしません」という文系女性編集者もいる。「マスクをしないで咳をしたらにらまれた・・・パニックで人が寛容でなくなった」という善良な投稿者もいる。世界的な危機が訪れている時に個人的感想はいらない。
鈴木北海道知事はマスクで会見に臨んでいた。後ろの職員も全員マスク姿であった。翻って安倍首相の記者会見では記者は皆ノーマスク、首相がしていないのだからできない。国会で安倍首相の後ろでささやいていた官僚氏、無症状の感染者だったらどうするのか。相撲協会のニュースでも理事は誰もマスクをしていなかった。ワイドショーのキャスター達は素人だからまだしも、テレビに出ている感染症専門家の諸先生方は自分がまさか無症状の感染者であるかも知れないなどとは夢にも思っていないに違いない。もちろん感染してはいないだろうが、デモンストレーションで良いのでマスクをすべきである。その後にも某県の健康福祉部長がマスクは感染を防止するという根拠がないのでしないと堂々と言っているニュースがあった。医系技官だそうである。日本の行政はその程度なのか。(追記:その後に記者などのマスク姿が散見されるようになってきた。防衛相も遅きに失した感はあるがマスクを始めたようである)
集団としては、皆がマスクをしていなければマスクをしているのは変だ、皆がマスクをしていればしていない人が変だ・・・そのような風土を作ることが必要である。これまでパワハラ対策や過労死対策において強調してきた「制度より風土」(SATO)がここでも重要なのである。

集団におけるマスクの効果
武漢では外出禁止で感染拡大が抑制された様である。感染者を(非感染者共々)物理的に隔離したのである。カリフォルニアでもニューヨークでも外出禁止令が出された。日本でそれが可能なのか。社会活動が停止して更に危機的状況になることは間違いない。本質は隠れている感染者を物理的に隔離することなのである。仮に2週間、日本人が全員マスクをしたと仮定しよう。外出禁止令の代わりに外出時にマスクを義務づけるのである。隠れている感染者の口を隔離して、ウイルスを拡散しないようにするのである。100%防止はできないとしても新たな感染者が半減すればどうなるか。台湾ではマスクを早期に配布している。一方でマスクはアジア人がする変な習慣と揶揄していた欧米では留まることなく感染が拡大しているのである。欧米人はアジア人から学ぼうとはしないが、我々は台湾から学ぼう。これは国全体で考えなければならないことである。繰り返しになるが、ほぼ全ての感染は感染者がマスクをしていなかったところでおこっている。元気で声を張り上げている感染者に限ってマスクをしない。安倍首相はマスクが国民に行き渡らないのに自身がするわけにはいかないという正義感からマスクをしないのではないかという気もするようになったが、安倍首相自身が感染者であるかも知れないとの自覚を持ってマスクをするまでは感染拡大を防止できない。それまで、せめて我々は自衛のためにマスクで飛沫感染とエアロゾル感染を防ごう。

マスク不足と再利用
【佐藤式マスク料理法】(SATO) :当初から千代田走友会の掲示板や産業医現場で推奨してきた方法である。
耐熱皿に普通のマスクをのせてポットの熱湯を浸るまで入れる。砂糖・塩は入れない。ニンニクを入れても人は逃げるがウイルスには効果がない。電子レンジで500ワット約2分加熱する。火傷をしないようにゴムをつまんで引き出して干す。乾いたらまた使う。

電子レンジに金属は駄目というのは家庭の常識であるが、通常のサージカルマスクの鼻部分はプラスチックである。N95は金属かも知れないが再利用は想定外である。ニンニクに抗ウイルス効果があるという俗説があるので付加してある。マスクメーカーがマスクを洗って再利用するのはフィルターが破損するのでダメですと言っている。この料理法について専門家も効果が薄れると言っているそうである。お腹が空いた、餓死しそうなので去年のお米を食べてもいいですか。いえいえ、美味しくないからダメですよ。マスクメーカーや専門家のコメントはこのようなものではないか。まさか(フィルターのない)ハンカチでも良いと言っていた専門家ではあるまい。よしんばフィルターが多少破損したとしても飛沫感染・エアロゾル感染は防げるのであり、ないより良いのは自明の理である。毛羽立ちや口紅が気になるなら内側にガーゼやティッシュを入れ、またトリミングしても良い。本質は加熱することなので鍋で煮ても差し支えないし、中性洗剤やキッチンブリーチでも良いのだが、外装も早く破損するので勧められない。何枚も持っている必要はない。持っていない人に1枚で良いから分けよう。(追記:その後に手作りのマスクを配布している人もいるようで結構な事である。飛沫を防ぐためなのでガーゼで十分である)

感染防止・・・うがい
昔から風邪予防にうがいといわれてきたが、実は科学的根拠はなかった。2005年に京都府立医科大学の里村氏らがうがいの効果を無作為化比較対照試験という科学的な方法で検証して米国予防医学雑誌に発表した。対象群を、何もしない、ヨード液でうがいをする、水でうがいをする、に分けて経過を見たところ、水うがい群で風邪の罹患率が低下していた。当時の毎日新聞にも「風邪にはやっぱりうがい」と掲載されている。ただ、その際に理由は不明だが研究者たちはインフルエンザ様症状を除外しており、インフルエンザ様症状を呈した対象者は3群で差がなかった。この理由については論文で述べられていないが、インフルエンザ予防対策としてはうがい以外のことが重要であることを示している。
これまで常識とされていたことでも科学的根拠がないことの例としてこの事を産業医講習会や大学院講義などで繰り返し指摘してきた。風邪はライノウイルス、コロナウイルスなどによる感染症なのである。もちろん100%予防はできないが、マスクが品薄の現在、水道水はいくらでも手に入るし、うがいはタダである。うがいをしよう。NHKニュースでコメントしていた感染症専門家(と称する人)はうがいには科学的根拠がないといっていた。きちんと勉強してから発言して欲しいものである。

何故人災なのか
ファクトフルネスという本がベストセラーになった。思いこみや誤解した知識に基づく判断を止めようという趣旨の本であるが、医学では30年ほど前にカナダのマクマスター大学からEvidenced-based Medicine(根拠に基づいた医療)が提唱されたので、何を今更という感はある。それまでは専門家あるいは大家と称する人々が、私の経験では・・・ということが多々あり、根拠が希薄で信頼性に乏しいものが多かったのである。そこで根拠に基づいた医療が提唱されたのである。感染症専門家の中には、過去に何々を指揮した経験を持つなどとされているが、たった1回の経験に過ぎないわけで、古き時代の医療に戻ってしまった感がある。これまで、「経験したことが大事なのではない、経験から何を学んだかが大事である」と医学・看護学生や医員・研修医に指導してきた。もちろん経験はないよりはあった方が良いのであるが、信頼性は高くないのだということをお互いが認識すべきである。
 ソクラテスに言わせれば、知らないと言うことを知っていることが知恵なのである。スペインの哲学者オルテガは「専門家が誤りをするのは専門のことを知らないからではなく専門外のことを知らないからである」と言っている。一部の専門家の不確実な類推とマスコミの報道から多くの人々がパニックになっている。感染疫学では神戸大学の岩田健太郎教授がノロ騒動の時から信頼度の高い的確なコメントを述べている。
 ・症状のない人にマスクは不要だ・・・症状のない感染者や再燃者がいることが分かっているにもかかわらず、である。クルーズ船から下船した人々のその後を見よ。マスクが不足しているからしなくてよいというのは本末転倒であり、国が配布すべきものである。ましてやマスク不足の折に再利用はだめだなどと戯れ言もいいところではないか。外出禁止などではない。症状のない感染者にマスクをさせることがクラスター感染を防ぐのである。
 ・マスクの表面は汚いから絶対にさわらないように(感染症専門家)【洋服は?ハンドバッグは?】マスクは呼吸した時に表面にウイルスがつくから危険【表面でウイルスを濾過しているのなら感染防止になるのでは???】・・・他人に感染させないためのマスクである。町中や公園を歩いていて、どれほどの汚染か。人ごみラッシュや近くに咳・くしゃみをする人がいたら汚染されたと考えればよい。マスク不足を招いたのは専門家ではないのか。心配なら加熱をすればよいのである。佐藤式マスク料理法である
 ・中国からの荷物のウイルスは時間が経てば死んでいるので触っても大丈夫【感染者が出た場所は2,3日閉鎖すればウイルスは死ぬはずなのに、おどろおどろしい防護服をつけて消毒しているのはなぜ???】・・・材質によってウイルスの生存時間が異なることが示されてきている。段ボール表面では24時間後にウイルスはなくなっているそうである。それ以前でも指数関数的に減少しているので感染性は低いと思われるが、心配なら次亜塩素酸ソーダ(キッチンハイター0.1%)で拭けばよい。
 ・アルコール不足と次亜塩素酸ソーダ・・・最も強力な抗菌・ウイルス剤は次亜塩素酸ソーダである。感染症について産業医現場で話す度に推奨してきた。皮膚には使用できないが直接触れないように作業をすれば問題ないし、金属はその後に水拭きすれば良いのである。家庭では以前から日常的にキッチンで使われているものである。アルコール不足なのに専門家は何故、次亜塩素酸ソーダをもっと勧めなかったのか。また、手洗いは石鹸で十分であることを知らない人も多い。(追記:3月中旬のNHKのニュースではやっと報道された)
 ・日本では実際は感染者が多いのに検査件数が少ないから隠れている・・・当初の外国の論調である。これが間違いであることは死亡者数が圧倒的に少ないことから推測できる。もちろん日本の医療技術は世界に冠たるものがあるので、致死率が諸外国に比べて圧倒的に低いという可能性もありうるが、それはそれで誠に結構なことではないか。クルーズ船は疫学上で国内ではないにもかかわらず、マスコミを含めて外国に情報を正確に発信しなかったために日本は誹謗され、渡航禁止などの不利益を被っているのである。その後の欧米の惨状をみよ。
 ・○○県で初めての患者発生・・・不安を煽っているが、何のことはない、ウイルス検査陰性だったクルーズ船の下船客が陽性になったという話もある。クルーズ船という疫学上は国外の対応を誤ったわけだが、英国首相が謝意を示したように人道的立場から対処しており、非難するには当たらない。ただ、いろいろなところで新たに発生したかのような報道は不安を煽るだけである。また、この時期に海外渡航して感染してきた例も多々あるが、国内感染とは分けて考えるべきである(追記:マスコミによっては改善されてきている)
 ・体温37.5℃4日間・・・、確認検査を受ける基準はそれで良いとしても、症状が軽ければ3日間は拡散することになる。またデイサービスで、学校で、体温測定をしているが、37.2℃の場合はすり抜けてしまう。平熱が低くても、である。感染拡大防止に何の役にも立たないどころか、却って感染を増長しているようなものである。診療所には新型コロナとおぼしき発熱・咳症状の患者がやって来る。センターが近くの診療所に行けと指示するからである。発熱後4日経っていないから、あるいは平熱が低かろうが37.3℃だと基準に当てはまらないからである。極論を言えば確認検査などはどうでも良いのであって、一人一人が自分は感染者であると想定してマスクをして行動するように指導すれば良いのである。
 ・休校、卒業式・入学式中止・・・マスクをして黒板に向かっていれば感染は稀と思われる。街で集まってしゃべっている生徒、公園でじゃれ合ったり学童保育で向き合って座っている児童をみると、隔離するという考え自体は間違っていないが、現実を想定していなかったのではないか。休み時間の管理をしっかりすれば教室のほうがはるかに安全である。卒業式・入学式についても、そのもののリスクは低いので中止すべきではないと思われるが、式の後に校門内外でマスクなしで集まって騒いでいる生徒・学生達を見ると、きちんと指導しないと感染拡大が危惧される。謝恩会・懇親会はハイリスクの最たるものである。欧米でも行事や外出を禁止する国・地域が出てきているが、マスクさえすれば問題のない状況は多くあるのではないか。
 ・社会悪とは何か・・・感染を知って移してやるといってスナックで2,3人に感染させて死亡していった男がいた。肝臓癌であったそうなので自暴自棄になったのであろうか。精神分析は別として、無症状や軽症の善良なる感染者がマスクをせずに100人に感染させたとしたら、どちらがより大きな社会悪なのだろうか。あなたがその無症状の感染者だったとしたら、あなたはその男を非難できるのか。サンデル教授に聞いてみたい。
 ・友達の友達は友達だ・・・感染経路の不明な患者が発生しているが、全体としてはわずかである。青空の下での立ち話で感染したと思われる例もある。善良なる感染者から感染した可能性が高い。
外出禁止令でクラスター・・・障害者施設で集団感染があった。病院で集団感染があった。野球選手で感染者がでた。一日の感染者増加数が最高になった、すわッ、外出禁止令か。よーく、考えてみよう。いずれも外出禁止令では防げていない。特に野球選手は十数人で自宅に集まって宴会をして、屋形船を再現するような状況であり、外出できないので気晴らしに友達の家で飲み会をやろう・・休校で子供達が渋谷・原宿に繰り出すのと同じ構図ではないか。感染者が増えたから外出禁止令ではなく、感染状況を分析してからにして欲しいものである。外出禁止令でクラスター感染が増加する可能性があるということを予見できないか。
 ・クラスター感染とは何か・・・「善良なる感染者がマスクをせずにウイルスをばらまくこと、またその連鎖」(SATO)

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