初ウルトラは ほろ苦デビュー '91(50才) 6月末日
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2023年5月15日
久米泰
走り始めて14年目に100キロチャレンジは、サロマ湖100k
千代田の小山内さんの完走はフルより達成感と満足感が違うと言う言葉にグっときたからである

・当時の参加メンバー
千代田の小山内さん、その走り仲間の小田島さん、壬生塚(みぶづか)さん、明走会の夜久さんと私(久米)の5人。
小山内さん、小田島さんの2人は前年完走、壬生塚さんはリベンジ、夜久さんと私は初。
・わがゼッケン 593番−ゴクミ!ヤッター、完走だ!

[サロマ湖当日('91.6月末)]
1.早朝送迎バスはギリギリ
 当日早朝「リーン、リーン」で電話で目が覚めた、真っ暗。
「ここはどこ?私はダーレ?!」状態。夜久さんの対応でサロマ湖100k当日を実感。小田島さんの「出発近いけど」に、メシ所ではなく、夜久さんと2人でアタフタ準備する。夜久さんからのマンジュウ1ケで送迎バスに。会場迄の1.30のバスは爆睡。これで助かった。食欲ゼロ。なんと前夜は前祝だと、3軒もハシゴ。飲み会の乗りは呑んべえの性か。

2.フルは3.40で44kmで大
 走り出せば二日酔いは関係ない。前半競り合った女性ランナーはほとんど上位入賞者。エイドでは水を呑み突っ込んだ走りになったが徐々にアルコールは抜けていった。
フルは3.40で43km位から腹がゴロゴロ、トイレは混み諦めてペースを落とす。1m位のヤブが目立ってきて「シメタ!」と、適当な所でじゃがみウエストバッグのティッシュで処理。「スッキリ」とする。

3.中間点(54km)で大休止20分
 54kmの緑館の中間点で預けておいた衣類、シューズを取り替え、水槽に足を入れクールダウン。水や食べ物など十分に補充してサッパリしてのスタート。

4.65km位の5cmの段差がきつい
 60km、65kmと自己新でペース上がるも歩道が狭く前のランナーを抜くには車道へでて歩道へ戻るが65km過ぎて5cmの段差が足に辛くなってきて抜くのは控えた。

5.74kmのおしる粉でワッカヘ
 70km過ぎて東急ホテルの青いのが見えてなかなか近付かないのはペースダウンのせいか。昨日「最悪でも74kmのおしる粉迄は行って食べまきゃー」など話していた。特に甘いものは体に沁みて元気をもらう。

6.ワッカ(原生花園)でのデッドヒート
 ワッカ(原生花園)で約80km、ここで8.00はいいペース。小さな上り下りの坂があってペースは落ちる。ハマナスなどの花葉少なかったが見る余裕もない。82〜83kmだろうか?左太モモにビリビリ電気が走って歩き出す、すると、夜久さんが声をかけ、ジョグで抜いていく。治ってジョグで少し行くと今度は夜久さんが歩いている。こちらもそんなにしない内に歩きが入る。今度は夜久さんが抜いていく「走り出すと歩いている」そんなデッドヒートがしばらく続く。競り合いを意識すると、今度は太モモにくる。
 ペースを落としてどこまで我慢できるかに切り替えたらリズムが出てきて10km近くは歩かずに走り切れた。
 ゴールは11.08台。上出来の完走である。そして夜久さんとは10分以上の差が付いた。歩かないとこんなに差が出るのを知った。

幸いにも、5人共完走で良かった〜

[ゴール後」
1.風呂での体重
 なんと4kg減(56→52)でげっそりやつれてた。

イベント会場で
2.仲間との乾杯で2口しがビール飲めず
 (500ccの残り捨てた)時間を置いて飲めるようになったが

3.優勝者の表彰式で、5段の階段によろけたのを見て妙に安心した(皆ボロボロとなる?)

翌日
4.早朝のトイレは和式のみ、足腰がパンパン
 まともにしゃがめず排水の鉄パイプつかんで用を足して、またパイプをつかんで立ち上がる(これって一番辛い洗礼でした!!)

翌日観光へ
5.5人共ノロノロまるで身障者並み
 階段は手スリを頼りに上り下りした。

この5つは鮮明に覚えている。

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