[T] |
短いコメント フルマラソン16レースの記録
|
1. |
初フル '83(42才) 3:11:00
ゴールして自分の荷物迄行ったら両太股がつりへたり込んだ。 |
2. |
佐倉(2) '84(43才) 3:10:50
抜かれなかったのにゴールして「なんだ遅かったね!」と迎えてくれた千代田のIさん?? |
3. |
河口湖(1) '83(42才) 3:01:20
そんな好記録なの。距離が短かったんじゃない? |
4. |
河口湖(2) '84(43才) 3:07:53
30km 2:07台、12.195kに1時間かかる |
5. |
河口湖(3) '85(44才) 2:59:00
雨や色々好条件での唯一のサブスリー(詳細別途)
※この1ヵ月後にランで転倒、左足小指骨折
好調だったのに痛かった。記録は出せる時に出す! |
6. |
河口湖(6) '89(48才) 3:05:17
調子は良かったが、やはり37kmからの壁はきびしい |
7. |
河口湖(7) '90(49才) 3:19:03
泊まる所がうるさかった。夕食で酒ゼロも悪かった? |
8. |
河口湖(8) '91(50才) 3:06:40
1年かけてのリベンジ。6月のウルトラデビューも好循環か。 |
9. |
河口湖(9) '92(51才) 3:13:07
タイムは今いちなれど、前・後半がイーブン。35kmから体が軽く感じられて一番快心のレース(詳細後述) |
10. |
掛川(3) '94(53才) 4:03:20
スタートから不調。35km位迄 4:00ペースメーカーについて行ったが40km位から足が動かずズルズル、サブフォーならず |
11. |
掛川(4) '95(54才) 3:17:52
ここも1年掛けてリベンジ。新幹線始発でスタートギリギリも辛かった。泊まるのもなぁ |
12. |
館山(1) '95(54才) 3:11:54
スタートは年代別に前から並ぶ。50才代で前から2列目とスタートラインに近い。自分のペースで飛び出せた。右手に海、フラワーロードなど気分よく走れて思いかけず好タイム。 |
13. |
渡良瀬(1) '00(59才) 3:23:42
結構いいタイム。60代で入賞に近いタイムも来年のタイムアップもめちぇくちゃきついしと思ってたら幸いに(?)抽選にもれた。 |
14. |
かすみが浦(2) '98(57才) 3:37:11
ウルトラ富士五湖(117k)へのトレーニングとして余裕をもって走った。終了後居酒屋探しに走り回れた。 |
15. |
館山(7) '02(61才) 3:47:40
38km付近で「オトーサン頑張って!」のおばちゃんの声、旦那が走っているのかとの周りを見たら、オレ一人
「オレのことか!」とおばちゃんに手を振った。
★オトーサン 俺のことかと 手を振った(川柳) |
16. |
荒川(4) '03(62才) 3:33:11
この時は応援に行ったのに仲間のIさんが「下痢だから走ってくれる!」代走も、もう時効だし、あの当時はあり。「しょうがないなサブフォーかな」と言ったらIさんが更に一言、「オレのワースト
3:33 だかんな」とプレッシャー。ゼッケンは若く相当前、目一杯走って彼のワーストで走れてよかった。Iさんには、くびきの100kの代走頼んだし(これ内緒の話あるよ) |
|
|
[U] |
わがフルの快心レース2つ |
1. |
河口湖9回目 '92(51才) 3:13:07
タイムは今いちだが前半・後半がイーブンだった。30kmまでは、いつもより5分近く遅かったか、35km位から体が軽く感じてランナーズハイがゴールまで続く。40km近く「なんだあいつ今頃スピード上げて」の陰口が聞こえた。37kmからの5kは23分以内で、ランナーをかなり抜けた。こんなこともある。
|
2. |
河口湖3回目 '85(44才) 2:59:00
雨や好条件が揃っての唯一のサブスリー。(別途、詳述) |
|
|
[V] |
サブスリー |
(1) |
駄馬もやったぜサブスリー '85
1985年11月24日(日)河口湖はあいにくの雨。朝8時30分の気象条件:雨 7.6℃ 湿度97% 東南東の風 0.5m
走り始めて8年目、青梅の30kも2時間以内で走れてフルも4回走り、サブスリーを目指していた。練習時間が取り辛い環境になっていき、サブスリーは無理だよなぁ、が正直な所だった。 |
1. |
スタート時
当時は招待選手以外は並んだ順。早朝7時前から寒い中並んでいた。7:30スタート。8列目位にいたのに横からランナーが多く流入。アレッ!? 中には明らかに遅い人も混じっている。これで前の人を抜くのに相当手間取って、5kmは22分を軽くオーバー。想定外のスタートだった。 |
2. |
雨でラッキー、いいペースに
次第に雨は本降りに。河口湖はどんより、富士山も見えない。
ともかく前のランナーを追って遅い人は抜いていく。雨が得意なのはかつての山歩きの経験が大きい。雨のレースは走りに集中できる。帽子、ランシャツとパンツ、シューズなどズブ濡れも小さな水溜まりは最短の目指す。リズムがでてくる。 |
3. |
眼鏡は曇るし目にあたる雨も煩わしい
たゞ、眼鏡の濡れはスタートからゴール迄つきまとい、視界がボヤけて拭うのも面倒だった。目に時々雨があたるのも煩わしいかった。厄介だったが、必要最小限の対応で走りに専念した。20kmで1:20台とようやくサブスリーペースとなった。 |
4. |
30kmでストップウオッチをオフに
30kmでは2:03台、後半の落ち込みを考えるとサブスリーはギリギリか。たゞここで手が滑りストップウオッチをオフに。これ以降タイムチェックができなくなった。 |
5. |
35kmの整備員の声援
雨でギャラリーは少なく、黙々と周囲のランナーに遅れないよう走る。35kmで雨合羽を着た整備員が「今のペースならサブスリーだから頑張れ!」と雨に打たれながらの声援。寒さも疲れも感じなかったがカツを入れられた。
この時頭に浮かんだのは
(1)10〜11月出勤時の帰りは毎日通勤ランで5km走ったこと
(2)今回がサブスリー最後のチャンスかも。この2点だった。 |
6. |
37km位で強い助っ人が
37km位の一番きつい辺りで少し前のランナーがこちらを見てリードしてくれているのが分かった。遅れないように目一杯ついていくとペースは落ちなかった。40km過ぎて彼は「もう大丈夫だよね!」と言わんばかりにスーっと前へ行き、やがて見えなくなった。思わぬ助っ人はラッキー! |
7. |
整備員に千代田の和田さんが
あと500mの地点に電光掲示盤があり、2:56台を指していた。すると整備員のマイク超しの大声が耳に入る。聞き覚えがあった。誘導の声の主は千代田の和田さん。思わぬサプライズ。
ここからは周囲のサブスリーを目指すランナーの力強いラストスパートに最後の力を振り絞ってついていく。
ゴール!! 2:59:00
コースを振り返って、深々とお辞儀をしていた。
駄馬もやったぜ、サブスリー!! |
|
|
(2) |
1985年の大会とトレーニング |
[イ] |
大会 |
1. |
2月青梅30k 2:13:05(練習不足) |
2. |
4月桃源郷20k 1:24:40 |
[ロ] |
トレーニング |
1. |
トレセン(国立競技場、主にトラック)
スピード練習として4年前から通っていた。
8コースを30周位が主(雨中は650mの中廊下、多くて20周)
ストレッチと風呂がセットだった。年々行ける回数は減った。
一流ランナーは80周すると聞いたが58周が最大で1回のみ、関節痛が4日も続き以後30周とした。 |
2. |
高尾山(陣馬山往復、約29km)
「負荷は皇居8周分で3:00切れたらサブスリー」と言われ、4月〜10月に8回もでかけた。3回目で完走できるようになったがベストは3:17。皇居の8周よりは良かったと思う。 |
3. |
皇居
月1〜2回がやっとで4周がほとんど。21分ペースを2周するようにした。6周は1回もなし |
4. |
通勤ラン
10月〜11月は仕事も忙しく時間がとれず、どうしても月200kmがやっとなので距離を稼ぐために通勤ランを始めた。2駅(約5km)を25分位で走った。ある深夜に走っていたら酔払いのチャリのおっさんから「ヨッ!頑張ってるね!」と声をかけられた。終電の時走ってのエピソードだ。 |
|
|
[W] |
走行距離について |
|
「フルのサブスリーには月間300kmは最低でも必要」
じれは、あの当時の常識だった。今もそうかもしれない。土日がよくつぶれる環境となるとまず無理となる。
自分も仕事が忙しくなると月200kmのことも多くなり、1985年には月間250kmがやってだったと思う。 |
1. |
サブスリーペースを体に染み込ませること |
2. |
月間距離にそれ程こだわらず準備に半年かけて月毎にメリハリをつける |
3. |
走り込みは1ヶ月前迄位に終わらせること |
4. |
一週間前からは軽目にして疲労を残さない
1〜4はかなり意識していたと思う
何度も失敗したがスタート時に疲労がとれて、走りたくなる気持ちが強い時は良いタイムがでたと思う。
サブスリーの時も上記の条件(1〜4)はほぼ満たしていたようだ。 |
|
count: |