農業体験記第3話「田植え休み、稲刈り休み」前編
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2022年5月15日
  樋口茂
川や原っぱを隔てた数か村の子供が通う小学校が、運よく私の村にありました。私の年代(1945年生まれ)は一番人数が少なく、6年間を通して1クラスでした。学校給食なんてものは無く、みんな弁当を持って通っていました。但し、私の場合は学校が近かったので、昼休みになると家に帰って昼食をし、また学校に戻っていました。家の都合で、たま〜に弁当を持っていくと、「今日はどうした、どうした」と言ってクラス中が寄って来ました。なんとなく恥ずかしく、弁当を持たされる日は、イヤでした。

1、2話にも書いたように、農業の機械化が進んでいなかった時代、農家では、小学生は、勉強より重要な「労働力」の時代でした。新潟海岸の砂丘地帯の内側は、田んぼの平野が広がります。ですからどの村も、畑作物より「田んぼの米作り」が本業でした。

そんな米作り農村の小学校に、珍しい年中行事がありました。春5月には「田植え休み」、秋10月には「稲刈り休み」と言って、それぞれ1週間、学校が休みになりました。子供は労働力だと、学校も理解していたのでしょう。小学校時代に、米作りのほぼ全ての工程を体験しました。田植え、稲刈りの前後も含めて、米作りの体験話をしましょう。前編は春から夏までの農作業です。

年を越した田んぼは固くなっていますので、米作りは土作りから始まります。鍬(くわ)を振り下ろして土に食い込ませ、表面がひっくり返るように鍬を引きます。この「ひっくり返す」ことが土作りのポイントでした。更に、ひっくり返った土を鍬の頭でポンポンと叩いて砕きます。鍬には平鍬(ひらぐわ)と三本鍬(さんぼんぐわ)の2種類があります。この作業には爪が3本付いた三本鍬を使います。牛も活躍しました。牛に鋤(すき)を引かせましたが、牛扱いは大人の仕事でした。この作業を「たぶち」と言います。田んぼを打つので、「たうち」がなまって、「たぶち」になったと、後年思っています。

「たぶち」が終わったままでは土はデコボコですので、稲苗を植えることは出来ません。先ず田んぼに水を張ります。土が柔らかくなったら、横長の棒に爪が付いた道具を「牛」に引かせて土を砕き、平らにします。この作業を「しろかき」と言いました。これはとても人力では出来ません。父、兄が牛を操っているのを私は記憶しているだけです。

並行して稲苗を育てる作業があります。稲苗を育てる田んぼは毎年決まっていて、その田んぼを「ながしろ」と呼んでいました。畝を作り、種もみを蒔きます。種もみは事前に水につけて置き、芽が膨らみ出したものを蒔きます。その上に燻炭(くんたん)をまきます。これは手伝いました。燻炭と言うのは、もみ殻(もみを玄米にしたときの殻)をいぶしたもので、家の前の空き地で作ります。もみ殻を小山状に積んで、先ずは大人が火を付けます。燃えたら灰になりますので、「燃えないように、消えないように」見張るのは、子供の仕事でした。ちょっとの風でチロリと炎が出たら、そっともみ殻をかぶせると、炎は消えます。学校から帰ったタイミングでやらされました。蒔いた種モミの上に黒い燻炭をまくのは、太陽熱保温の為でしょう。そして更にこの畝全体を、「油紙」で覆います。

苗も育ち、そろそろ田植えの時期になると、学校は「田植え休み」に入りました。田植えは集中して一気に終わる必要があります。田植えの日程が狂うと、秋の実り具合に影響するんだと、後日、兄から説明を受けました。このため、家族だけでは田植え作業は間に合わないため、どこの農家も「てまとり」を雇いました。「てまとり」とは、田植えだけを手伝ってもらう人で、町人(今のサラリーマン家庭)に嫁いだ「元農家出身の女の人達」でした。5人位だったでしょうか。

よくTVで田植えの様子の放送がありますが、その時、地方によっては、後ずさりしながら田植えをしています。我が地方は全く逆で、前進しながら田植えをしました。どこに苗を植えたらいいのか、予め、田んぼの表面にマークがありました。田植え時は、田んぼの水は抜いておきます。そこに断面6角形で、長さ3〜4mほどの筒状の型枠をゴロゴロ転がすと、正方形のマークが田んぼに付きます。この作業を「かたおし」と言い、あまり力仕事ではありませんので、子供でも出来ました。たくさんの正方形の十字部分に苗を植えます。これで素人でも整然と美しく苗を植えることが出来ます。苗束を片手に持ち、もう一方の手で苗2〜3本ずつ植えました。苗束はあらかじめ腰のかごにたくさん入れておきました。

やがて順調に苗が成長してくると、雑草も増えてきます。後年、リタイア後、「二宮金次郎伝」を読みました。ここで彼は「農業とは雑草との戦いである」と言っています。私の農業経験とピッタリの言葉で、いっぺんに金次郎のファンになりました。こんな歌も詠んでいます。

「田の草は あるじの心 次第にて 米ともなれば 荒地ともなる」
 


米となるか、荒地となるか、田の草取りには2つの方法がありました。一つは「素手」で田んぼの表面をごちゃごちゃかき混ぜて取る方法。これだと、子供の胸位まで育った稲の葉っぱが、しゃがむと顔に当たり、チクチク、カユカユになります。もう一つは「除草機」を使います。今の掃除機の吸い込み口を縦にして、その下に歯車のようなものが付いている形です。掃除をするように前後押しながら前進すると、歯車で雑草が切り取られます。

実はもう一つ厄介な雑草があります。神社で五穀豊穣を祈願する行事があります。5種類の穀物が豊に実るようにとの願いですが、米・麦・粟・豆・稗(ひえ)が「代表的な五穀」です。米作りをしていると、必ず「稗」が混じります。稲の成長途中は目立たないのですが、稲穂が付き始めるころ、背伸びした稗が目立ちます。このまま収穫して米と共に俵に詰めた後、品質検査で稗の実も混じっていると、米の等級が格下げとなります。稗は五穀の一つとは言え、米作りにとっては雑草となります。稲株の中から稗1本1本除去するのは大変な作業ですが、やらなければなりません。

やがて小学卒業前後頃から機械化が始まり、農作業も変わって来ました。小さなガソリンエンジンの付いた「メリーテーラー」1台で、三本鍬の「たぶち」作業は不要になり、牛もいなくなりました。これがやがて大型耕運機となり、田植えも田植機の登場で、学校の「田植え休み」は消え、除草剤の普及で、雑草との戦い(金次郎伝)も終わりました。(後編に続く)


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