皆さんは、スイカの中身は何色、と言われたら迷うことなく赤、と答えるでしょう。ムカシは他に、銀スイカと黄スイカが栽培されていました。中身が銀色や黄色だと言うスイカです。スイカ玉の色は緑ではなく、全体的にグレーっぽく、細かいしま模様で覆われ、シマとも言われていました。しかし、スイカと言えば「緑色の玉に真っ赤な中身」と言うイメージが定着し、銀や黄は売れなくなりました。後年、我が家の栽培も今のスイカ1品種になりました。
スイカ栽培は、スイカの種から芽が出た苗を、そのまま畑に植えればいい、と言うものではありません。スイカは連作を嫌いますし、病気にかかりやすいので、ユウガオ(かんぴょうの原料)の幼苗を「台木」にして、スイカの幼苗を「接ぎ木」して大きくします。
先ずはスイカもユウガオも種まきから始まります。温室にまくのですが、今のビニールハウスのように、人が入るような立派なものは、当時ありませんでした。稲わらを立てた形で、縄でつないで長方形で四角く「囲み」を作ります。ですから高さは子供の胸位だったでしょうか。その中に土を入れます。種をまいた後、障子戸に油紙を張った覆いを、何枚かで囲みにフタをします。ですから温室の幅は障子戸の高さになります。これが当時の温室です。「とこ」と言いました。油紙を張る仕事も、農家の子供は手伝いました。紙に油をしみこませてありますので、雨にも風にも耐えました。
やがてスイカもユウガオも芽が出て成長し、子葉(ふたば)が広がります。子葉の形は似ていますが、ユウガオの子葉はずっと大型です。更にユウガオの真ん中にわき芽が出てきたら、「接ぎ木」の頃合いとなります。接ぎ木をするには道具が必要です。竹べらの先端を、カミソリのように平たく鋭利に削ります。これを準備したのは、親爺か兄でしょう。
さて接ぎ木の作業です。先ずユウガオの幼苗の真ん中のわき芽を、指先でもぎ取ります。そしてその部分に、竹べらの先端で「切り込み」を入れます。一方、スイカの幼苗の茎をカミソリで斜めにカットして、根っこを捨てます。カットされたスイカの幼苗を、ユウガオの「切り込み」に差し込みます。これで接ぎ木作業は完了です。この作業で最も重要なポイントは切り込みです。切り込みが深ければスイカの幼苗が緩くて落ちてしまい、浅ければこれも差し込みが効かず、接ぎ木出来ません。この微妙な作業も、数回失敗すれば、勘所が分かるようになり、小学生でも出来ました。この作業は1日で終わることが原則だったようです。そのために子供も労働力でした。