一覧へ戻る ちよだ No.3 昭和55年4月1日(1980)発行
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健康スポーツとしてのジョギング 関矢 貴美子
 健康スポーツは安全が第一である
 運動不足や精神的ストレス等の文明病が蔓延し、日本中が一億総半健康人時代であると言われて以来、健康自衛の必要性から見るだけのスポーツが参加するスポーツと変化する。今から二十五年程前までは体育とかスポーツは専門の選手や愛好者達だけの為であったが、ここ十年ほどで健康法としての大衆スポーツ化が普及されるに及び、今や異常なるジョギングブームである。
 1980年代は余暇と市民スポーツの時代になると言われているが、生涯スポーツとして健康志向を目指す。〈健康スポーツ〉はヒマや趣味としてのレジャースポーツとは異なる。生活リズムの中の一つの歯車としてスポーツを取り入れ、無理なく楽しみ乍ら習慣化、定着化させることに、その効用があり、今までのような、一部スポーツマンだけのスポーツではなく、自分の健康管理を自らの生活の範囲中で正しい方法で続ける事が〈スポーツ健康法〉である、生涯スポーツに取り組む姿勢だと思う。
 予防医学の立場からスポーツが見直されアメリカ生まれのエアロビクス健康運動の理論が広く普及されてから日頃の運動不足や体力の低下をこの有酸素運動で予防しようとジョギング健康ブームが起こって来たのは病める現代の要求でもあった。
 今や体力、年齢にかかわりなく走る事に即効性を求め驚異的なジョガー増加の一途である.
然し走って心や体を健康的にしようとする為には単なるブームの中での人まねをさけ、ジョギングは明らかにマラソンやランニングとは違うと、いうことをはっきり認識した上でなければ10年も前にジョギングが大ブームとなり、その数年後に何百人という犠牲者まで出したアメリカのわだち轍をふむ事になってしまう。
 ごく最近の身近な例でも、3月16日神奈川県民マラソン大会で男子10キロコースに参加していた二十三才の若い男性がゴールの二十五メートル程手前で倒れそのまま急性心不全で死亡するという事故があったばかり。後半は疲れ気味だったので、ゆっくりしたペースで走っていたといい、高校時代からマラソンをやり、テニスもやっていたスポーツマンであったという。
 又他にも過去に数多くの事故死を耳にして来た、それらの殆どが健康法としてのジョギングを生活の中にとり入れ、計画的に何年間か続けていた人達であるという事は、ジョギングが健康な人なら誰にでも出来る気軽さの為、非常に運動量の大きいスポーツである事を見落とし勝ちな為ではないかと指摘する指導者もいる。健康法としての効用が大きいランニングだけに、正しい健康管理と正しい走法を実行する注意力が必要であり、ジョギングとマラソンとの区別を正しく理解した上でなければマラソン大会での事故続出を未然に防ぐことはむずかしと思う。
 ジョグとは本来英語の単語Jogから生まれたもので、心身共にリラックスさせ乍ら目的を定めずに歩く事を意味し、それはマラソンでもなければ・・・ましてや入賞を競う競争等とは当然区別されなければならないのである。タイムや距離に根性を出して一生懸命頑張るというものではない筈である。
 ジョギングとマラソンと考え違いしない為の一つのはっきりした警告がある。『心臓は人間の臓器の中では大きいもので、その重量から推定すると、必ずしも充分に固定されているとは言えない。その重さの大部分は、これに繋がっている血管が支えているのだ。だからランニングの際の衝撃は、その中心にゴルフボールを引っかけたクモの巣のように心臓の周囲の血管を引っぱり、振動を与える。その結果特に冠状動脈や静脈の内壁にこびりついているトロンビンや血液中の澱が遊離し、それが心臓内部の細い血管の内部に運ばれる、そこで血管が塞がると、あなたは心臓発作で死ぬのだ!』
 医学博士J・E・シュミット(PLAYBOY 1976 OCT)この論文に素直に耳を傾けてみると、健康スポーツの中で最も危険なのがジョギングである事が良く理解出来る。又『ノン・ランナーズ・ブック』がベストセラーになってしまったジョギング発祥の地アメリカの実状が、いづれ日本にも起こらないという確証を持ち難い程、今の異常なジョギングブームの混乱ぶりなのである。ランニングが事故につながる時には、体力以上の負荷をかけすきた為適応範囲をこえて機能不全を起こすことに原因がある。若い時代から走り続けている人ならまだしも、中高年になってから走り出した人の中には走ることに生甲斐を見出した場合が少なくない。心構えを一歩誤ると危険なスポーツに変わる。健康目的のジョガーはマラソン大会参加志向からの発想転換が必要で、マイペースに徹し、自ら楽しむ方法を工夫創造することに努力すべきでないかと思う。大事な事は大会に参加する事ではなく、自らの人生を如何に健康的で有意義に生き抜くかという事ではないだろうか。
安全に永続きさせなければ健康法が造病法となってしまうのである。(この項終わり)

<人物紹介> 関矢 貴美子
 関矢さんを知らない会員の方も多いと思いますので御紹介致します。
 今から7、8年前の初期の会員でありまして、波多野さん、塩沢さん、池東さん、伊藤さん達と一緒に走った仲間であります。
 一頃は国際高齢者マラソンで活躍されたり、東京日本橋を出発して茅ヶ崎まで走り通して、その名を天下にしらしめた経歴のもちぬしである。ところが近頃では専ら健康ジョギングに徹し、タイムを競う大会には出ないようになりましたが、健康のためにジョギングは毎日つづけ、茅ヶ崎に於いて女性ジョギング教室やママさんテニススクールで教え、柔軟体操や整体運動の指導をしておられます。陸上競技やスピードを志向する私とは一見相いれぬような感じもいたしますが、案外気があったりして、折々の文通にて情報の交換などしております。
 今回はいかに正しく健康ジョギングを行うかという話しの序論であります。
 次回よりは関矢さんの知識と体験によるお話を書くことになっております。
 本文に対する質問なり反論がありましたら直接関矢さんか編集部迄ご連絡ください。(田中)

毎日新聞 多摩 都民版 『年齢、ハンディ克服 マイペースで走破」  
 最高齢、見事完走 柏木さん
 今大会の最高齢者は、千代田走友会の柏木良之助さん(82)。昨年3月に脱腸の手術をしたというハンディにもめげず、10キロコースを1時間10分でゴールイン。完走賞を手にして「おじいちゃんおめでとう」の祝福を受け、「マイペースで走りました。まだまだ、生きている限り走りますよ」と、元気いっぱいのところを見せていた。
 柏木さんは今年が8回目の出場(うち5回は30キロ)。毎朝5時30分に起床、皇居周辺を5、6キロ走ったあと神保町近くの靖国通りに出て道路清掃。さらに緑の腕章をまいて、登校する子供たちの交通整理を33年間続けているという。
 なお、同じ82歳で、30キロに出場予定だった町田いだ天クラブ会長、片柳光四郎さんは、持参した健康診断書がコピーだったため、出場が認められず、無念の涙をのんだ。

青梅マラソン30km参加上位者の成績   左記以外の青梅マラソン出場者
順位 氏名 所要タイム
832位  川島聴一 2時間03分
1709位  山田耕二 2時間12分
1933位  飯田勝子 2時間14分
2077位  渡辺良利 2時間15分
2236位  伊礼保信 2時間17分
2月24日の報知新聞の発表による
 
キロ 氏名 キロ 氏名
30 小林利英 30 大河原圭佐
〃 新田英雄 〃 布川 広
〃 佐藤貞二 〃 川下喜久子
〃 東海林和之 〃 佐竹嘉夫
〃 太田隆司 〃 鈴木金一
〃 林潤太郎 〃 星 穣
〃 草野幹男 10 柏木良之助
〃 堂山和一 〃 成川重和
〃 奥野精一 〃 江沢欣也

青梅マラソンはこれでいいのか
 去る2月27日全国ランナー憧れの青梅マラソンが快晴の青梅路で繰り広げられた。
 童心よ永遠に 銀座なみの青梅路を走る走る
 右に山並み 左に渓流 梅の花かおる青空の下無心に走る
 カメラが追うマスコミが騒ぐ 健康 健康 健康と
 背負った重みも楽じゃない 理屈はいらない大衆マラソン
 では、青梅マラソンは大衆マラソンなのか・・・?
 マラソンブームとマスコミが騒ぐにつれ、練習しないで参加するランナーが増えてきたのだ。
2つのスポーツ
 強くなるスポーツ。そしてレジャー、健康のスポーツ。おのずから正反対のやりかたになるのは当然だろう。
 前者においては、どんな条件下でも、それを打ち破る自分との闘いであるし、それに耐える体力が要求される。
 後者においては一番いい条件の中で無理をせず誰でも自由に無制限に参加できる。
青梅マラソン分析
 第一に最も寒い2月の山の地。その上スタートが12時、3時過ぎると太陽は山に沈み、早い人はこの前にゴールできるが、遅い人(年寄、練習してない人)はどうだろう。前半に汗は出てしまい、走っていても寒いのにランニングシャツ、ランパンであるいたらどうなんだ。
 第二に危ないからということで人数の制限、身障者への制限
 第三に時間の制限と診断書の提出(当日会場で行うべきだ)
大衆マラソンとは
 誰でも参加でき、疲れたら歩くことができること
 その為には歩いても寒くないだけの気温が必要だ
 青梅マラソンの場合どちらの大会にするか不明確なので運営のし方及びランナーに問題がある
マスコミの影響
 老若男女の参加と風光明媚な地が(東京の近郊)この大会を屈指のマスコミ大会とした
 大衆マラソンならば大衆マラソンとして全国ランナーが走りやすいよう育てていかなくてはいけないのに、走友会の人々もマスコミ一辺倒にならず、自分の体にあった大会を選択してもらいたいものです。
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