[ 夫 ]
一人の若者の走る姿を見つめていた。72年新春の箱根駅伝。小田原から平塚を駆け抜ける七区に東京農大二年の長男、潤二が走っていた。
親ばかではなく、必死の形相で走る息子の姿に純粋に胸打たれた。
四十九歳。父ではなく、男として燃えるものがあった。
前年の冬、スキーで足をねん挫し、 痛みが一年近くたっても引かなかった。
息子の応援に一緒に行った知り合いの東農大OBに相談すると「走りなさい。すぐ治るから」と勧められた。そのOBが走友会の一心メンバーだった。
息子のランニングシューズを借りて、走友会に加わったのはそれから間もなくだ。
84年から91年までは走友会の会長を務めた。今でも会の最古参として皇居を走り続けている。
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[ 妻 ]
夫に仕事以外の仲間が出来たようだ。随分、楽しそうに出かけていく。
毎週日曜日は必ず皇居。あちこちのレースにも走りに行く。私もそれに付いていく。私の場合は、料理を作って、みんなに食べてもらうのが好きだから。
でも待っているのは本当に退屈。夏は暑くて、冬は寒い。当たり前の季節だが、外でじっと待っていると、耐え難くなる。<自分も走ろうか>
でも、女房が走るなんて恥ずかしい。(あのころは)レースでも女性の姿は殆ど見ることがない。
夫が走り始めて一年ほどたった夏、ジョギングシューズを買った。”皇居デビュー”してみたかった。
体慣らしに闇夜を選んで、江戸川区の自宅周辺をふだん着で走り出した。近所の人に見られないし、もし見られても散歩だとごまかせる。
四十五歳の体育の日、初めて皇居を走った。皇居なら恥ずかしくない。トレーニングウエアを着込めるのがうれしかった。
自己紹介した時の仲間の拍手・・・・。今でも仲間に会うのが楽しみで、皇居通いが欠かせない。
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