生まれ故郷の英国・ヨークシャ州は、果てしなく続く丘陵と放牧の羊とむき出しの自然があった。
中学時代、ラグビー、クリケット、クロスカントリー、3つのクラブに入っていた。
一番生にあったのが、クロスカントリー。
冷たい雨の降る森の中を、泥道を、時には雪の降る道を駆けた。自然がそのままコースだ。
高校時代には、北イングランド・チャンピオンにもなった。
大学はケンブリッジに進んで、クロスカントリー部のキャプテンも務めた。
オックスフォードとの対抗戦に何年ぶりかで勝った時も嬉しかった。
大学を卒業して、アメリカに渡り、ペンシルベニア大学(大学院)でビジネスを専攻した。
大学のあるフィラデルフィアの街は、クロスカントリーより、川べりを走るロードワークが似合う。 |
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それからロードレースが自分の中心になった。そのころはセントラルパークを5周したニューヨークマラソンや、街全体がお祭り騒ぎでとてもゆかいなボストンマラソンも走った。
ビジネスを学びつつ、夏休みを利用して、東京のNTTでアルバイトをした。
ヨーロッパ、アメリカの次は、アジアを見てみたかった。日本語を勉強したら、73年、就職したアメリカの銀行の配属先が東京支店だった。
大手町のオフィスと五反田の自宅を毎朝毎晩走って往復した。
翌年、別の外資系銀行のダラス出身の駐在員に誘われて、毎週日曜、皇居を走るジョギング同好会・千代田走友会に入会した。
それから一緒に走り始めた。優勝の胴上げも彼らがしてくれた。 |