京都一周トレイルラン(2009.9.13)」体験レポート
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2009/9/13
  北村 諭
2009.9.13
1.参加の理由
生まれてから大学卒業までの22年間を過ごした故郷の京都。
今でも新幹線で帰省する際、東山トンネルをくぐり京都市内に入ると懐かしさでホッとする。景観上の問題で高層ビルが制限されているので、市街地でも景色には必ず山がある。山が見えない方角が南。だからどこにいても東西南北はわかる。そんな京都の山々に15年ほど前からトレイルコースが整備され、そのうちの大部分の約66kmが今回のコース。東山の伏見稲荷を早朝の5時スタート、大文字山、比叡山を通り、北山の鞍馬へ。貴船、清滝を抜けて西山の保津峡がゴール。給水、給食のエイドは無し。地図を片手に既設の標識を頼りにして勝手に走れという大会。残暑厳しい9月の京都。ウルトラマラソン並みに疲労するらしい。主催者にメールで問い合わせたところ、制限時間は13時間で昨年は、35人出走27人完走。9時間〜14時間の所要時間。街に近いので, コースアウトやワープ(=交通機関を使ってゴール近くまで進むこと)の手段はいくつもあり, 実力に合わせて楽しめるが、一応、 時間内完走する意思を持って参加してもらいたいとの返事をもらう。また、(1)暑さ(2)小さいアップダウンがずっと繰り返すので「しんどくて楽しい」大会とのこと。・・・・週1回しか走らないサンデーランナーの私が無事にゴールできるか不安。でも、小規模で手作り感あふれるこのイベント(主催者の前田さんがひとりでやっている)に出たい。故郷を1日かけてゆっくり走ってでみたい。実家に泊まれば宿泊費はタダ。また、老いが目立ち始めた両親に顔出しして親孝行もできる。こういう機会がないとなかなか帰省できないので思い切ってエントリーしてみた。

2.コース下見
お盆に帰省した際に、スタート地点の伏見稲荷から銀閣までを下見した。この大会は既設の標識以外コ−ス誘導がないのでキツイ。地元在住で何度も走ってコースを熟知している人でなければコースアウトしてしまう。かなり不安を覚える。

3.レース当日
深夜の3時に起床。眠い。4時20分にスタート会場の伏見稲荷に到着。

<伏見稲荷大社(スタート地点)>
全国にある稲荷神社の総元締め。参加者は約80名(去年の2倍!)。5時に目覚まし時計の「ジリリリリ・・・」という音とともに後方からスタート。ヘッドライトを装着しているランナーの後方を走る。千本鳥居を通過。小さな鳥居が本当に千本ほどあるらしい。幻想的な雰囲気のなかを走る。この辺りは「雀の焼鳥屋」が軒を並べることで有名。昔、祖父がよく雀の焼鳥をおみやげに買ってきてくれた。初めは骨ばかりでおいしいとは思わなかったが、いつの間にか大好きになっていた。雀の焼鳥は、稲の外敵である雀を捕食するところからきているらしいが、最近は雀の調達が難しくなり店が少なくなったと新聞に載っていた。高校生のときに祖父は亡くなったが、雀の焼き鳥を肴に一杯やりたかったなあ。

<東福寺>
スタートして約3kmほどで東福寺の脇を通過。
奈良の東大寺の「東」と興福寺の「福」から1字ずつとって「東福」寺。

<清水寺>
修学旅行のメッカ。世界遺産。年末に高僧がその年を象徴する漢字を書くのもここが舞台。去年は「変」というが選ばれた。清水寺はコースではなく、その脇のトレイルコースを進む。標高242mの清水山へ。上りの途中、千代田40周年記念のタオルを紛失してしまう。ショック。

<蹴上疎水>
「京都は滋賀の琵琶湖から水を引いている。京都の人が使った水は淀川に流れ、その汚い水を大阪の人がもう一回使う。」ここに来るといつもこの言葉を思い出す。誰から聞いたか覚えてないが、京都人の気質が出ている言葉だ。
<大文字山途中のビューポイント>
偶然にも4人の舞妓さんグループに会う。「姉さん」と呼ばれていた女性だけが着物姿(ただし白粉は無し)だった。山に登ってから着替えたのだろうか。
朝早くから登って大文字から見える京都の町並みをバックに写真を撮りにきたようだ。グループのカメラをとっかえひっかえハイチーズ。「おおきにぃ。東京からどすか。」と営業用の柔らかな舞妓さん言葉を聞く。記念に私も姉さんとのツーショット写真。ラッキー。

<若王子(にゃくおうじ)神社>
コース脇にある神社。後白河法皇が紀州熊野詣をする代わりに建てたとされている。墓地には母校の創始者である新島襄やその弟子の徳富蘇峰が眠っている。

<大文字山>
正式には「東山如意ケ嶽」というらしい。「大」の文字の火床を通過。夏の風物詩である五山送り火(いわゆる大文字焼き)では最初にこの山から火がつけられる。そのあと順に妙法・船形・左大文字・鳥居形と点火が続く。無料開放されていた電電公社の屋上でレモン味のかき氷を食べながら大文字焼きを見たのが懐かしい。辺りを竹ぼうきで清掃しているおじいさんが走っている私に「えらいごくろうさんどすな。」(地元の老人は今でも「〜です」とは言わずに「〜どす」を使う。舞妓さんの使う「〜どす」とはトーンが違う。)

<哲学の道>
疎水べりの小道。哲学者、西田幾多郎がここをよく散歩したためにこの名前がついたことは有名。今では若いカップルのデートコースになり、おしゃれな飲食店が多くなった。

<銀閣>
正式には東山慈照寺(とうざんじしょうじ)。早朝なので、まだ正門は閉まっていた。写真でよく見る「銀閣」は寺の中ある建物のひとつ。だから正確には「銀閣寺」は存在しない。あくまでも通称だ。金閣も同様で「金閣寺」は通称。金箔に輝く建物は「金閣寺」ではなく「金閣」・・・中学の社会の先生の話を今でも覚えている。

<おまけのエイド>
スタートから約3時間経過。銀閣から1kmちょっと進んだところのコンビニが唯一のエイド(HPにはエイド無しと記載されている。あくまでもオマケ)。おにぎりと500mlの水が支給される。ホッと一息。民家のトイレが開放されていた。主催者の前田さんに記念写真を撮ってもらう。

<北白川>
この辺りの神社は菅原道真を祀っていない。一寸法師のモデルで相撲の神様?の少彦名(すくなひこな)命を祀っているらしい。理由は知らない。

<比叡山・延暦寺>
最澄の天台宗総本山。霊峰比叡山(848m)は平安京の鬼門(北東)にあたるため、桓武天皇が伝教大師最澄に祭らせたという説がある。ここにも思い出がある。昔は比叡山にお化け屋敷があった。そのお化け屋敷が怖くて泣いたのだ。父親の背中におんぶしてもらって脱出した。大人になった今でもお化け屋敷は苦手だ。今は、お化け屋敷も、併設されていた人口スキー場も今はない。売店の看板やリフトがそのまま放置されていた。時代の流れを感じる。この大会に3年連続出場という年配ランナーにここを10時までに着けば時間内完走(18時ゴール、所要時間13時間)できると教えてもらった。今の時刻は10時前。ギリギリ目標達成。

<横高山>
比叡山が終わったら今度は横高山。コース1の急坂が待ち受ける。上りは大嫌いだ。心拍数は上がり、しんどい。楽しくない。どうしてトレイルなんか申し込んだんだろうと自分自身に腹を立てる。比叡山と横高山でスタミナが急速に失われてしまった。フラットな道でもスピードがでなくなってしまった。
 
<仰木峠から市街地へ>
中間地点まで4kmほどある。中間地点の自主関門時刻は12時。ぎりぎりだ。スピードを上げて降りる。トレイルの師匠の教えを思い出し、意識的に重心を前にして、落ちるように走り降りる。しかし急いでいるときに限ってトラブルが発生する。3度目のコースアウト。行き止まりだ。道に迷ってしまった。後ろを振り返ってもランナーはいない。あせる。時間が無い。仕方なくの前方のフェンスをよじ登るが、またいだ瞬間に右ふくらはぎがこむら返り。痛い。けれど時間が無い。とにかく下へ下へ山を下っていくと地元住民を発見。地図を見せて現在位置を確認。助かった。お礼もそこそこに走り出す。結局11時55分で中間地点。スタートしてから約7時間経過。さすがに疲れてきた。脚が重い。残り6時間で33kmも進めるだろうか。写真を撮る元気もなくなってきた。

<薬王(やっこう)坂>
最澄がこの坂を越したときに薬王と出会ったことからこの名がついたとのこと。別荘が点在するあたりは急坂。由緒ある坂かもしれないが、疲れたランナーにとっては、地獄坂としか思えない。膝に手を押し当てながら、トボトボ進む。

<鞍馬寺>
牛若丸(源義経)がここで修行したことで有名。観光客も多く、おみやげ屋さんが立ち並ぶ。当初ここでもおまけのエイド(よもぎ餅)がある予定だったが当日になって中止。鞍馬川と叡山電鉄と並走する舗装路を下る。ただし、走ってもスピードが出ず、仲良くなったグループに付いていくことが出来ない。当然のことながら誰も待ってくれない。どんどん離されていく。今から思うとここでワープ(=交通機関を使ってゴール近くまで進むこと)すべきだった。

<貴船>
貴船神社は水の神として信仰を集めている。ここでもコースがわからなくなり、近くにいた消防署員に道を尋ねる。私は汗だくでリュックを背負っているのでシャツが異常に臭い。自分でもわかる。異臭漂う私に親切にしててくれてありがとう。

<夜泣峠>
幼少の親王と乳母がここで一夜を明かしたとき、乳母がこの峠の地蔵に願をかけて親王の夜泣きを止めたとされる峠。薬王坂ほどでは疲労困憊はないが、歩を前に進ませるのも億劫に。立ちションをしたら気分がリフレッシュ。

<氷室>
走っている私の脇を歩いているランナーが抜かしていく。
ラ:「走るより、歩いたほうがいいんちゃうの?」
私:「気持ちは走ってるんやけど・・・。それにしても自販機があらへんね。」
ラ:「前坂のカレー屋に行けばあるかも。」
けれど、カレー屋に着いても自販機はなかった。ハイドレーションの水(2L)はなくなった。スポーツドリンクがペットボトルに半分残っているだけ。大切に少しずつ飲む。
高雄に着いたら、ワープしよう。体力、気力ともに限界。もう無理だ。

<高雄>
北山杉の名産地として有名。川端康成の『古都』の舞台でもある。地図を見ると高雄山の山腹には清麻呂の墓がある。川沿いには川床料理を売りにしている旅館が目立つ。ここでようやく自販機を発見。少し元気が出てくる。日が暮れ始めたが、あとは川の流れに沿って進んでいけば清滝、保津峡だ。せっかくここまで来たのだから、制限時間を越えても完走しよう。そうしないと、また来年に挑戦しなければいけなくなる。もうこりごりだ。制限時間なんて関係ない。なんとしてでも完走したい。

<清滝>
清滝川はゲンジボタルの生息地。小学生の頃は、この川で泳いだ。水が冷たいので唇がすぐに紫色になってしまった。高雄よりも暗くなってきた。まだ18時すぎなのに足元がはっきり見えない。怖い。渓流沿いのゴツゴツした岩場の道がしばらく続く。ヤバイ。

<落合>
ここまでくれば保津峡まで約1km。しかも舗装された車道。本来なら楽勝のはず。しかし完璧に日が暮れた。真っ暗だ。灯りが全くない。当然地図も見えない。車すら通らない。助けを求めようにも誰もいない。トンネルの中を通るときは灯りのおかげで妙にホッとする。東京の街中では考えられない暗闇の中にひとり。走っていても前が見えない。懐中電灯を持参すべきだった。レースをなめていた。怖い。本当に怖い。勢いだけでレースをしてはダメだ。状況判断を誤った。やっぱり鞍馬か高雄でワープやリタイアすべきだっのでは。後悔、後悔、後悔。

<保津峡駅(ゴール地点)>
「ゴー」という電車の音と駅の灯りが見えた。やった。助かった。主催者の前田さんが待ってくれていた。本来はゴールタイムを表示した時計と一緒に撮影して、完走証を後日送ってくれるのだが、その時計はすでに片付けられていた。代わりに保津峡駅の看板で記念写真。ゴール時刻18時55分。所要時間13時間55分だった。長い一日が終わった。無事ゴール出来てよかった。あわや遭難するところだった。私の実力では参加してはいけない大会だった。あとで知ったのだが、18時30分くらいに前田さんは緊急連絡先になっていた両親の自宅へ電話していたそうだ。私のゴールが遅れる旨の連絡を事前に前田さんの携帯にしなかったからだ。ゴール保津峡では私の携帯(ソフトバンク)の電波が圏外になっていたので、たぶんそのくらいの時刻では前田さんがいくら私の携帯に電話しても通じなかったので心配して両親に電話したようだ。周りの人に迷惑を掛けてしまった。申し訳ない。恥ずかしい。

<最後に>
今回ほど周りに心配をかけた大会はない。そして今回ほど勉強になった大会はない。
(1)客観的に現状を把握すること
(2)今後の展開を予測し先回りして行動すること
が必要だ。その結果としてワープやリタイヤという結論が出たら必ず実行する勇気も必要だ。今回の体験や反省をレースの時だけではなく、仕事や私生活でも活かせるようになりたい。


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