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一緒に走って夫婦円満
49歳で始めた夫、妻が追い
2000年5月20日 読売新聞(地域ニュース)
新聞記事の内容
千代田走友会
潤太郎(77)
林  マスミ(72)

皇居をかける

 通勤中のサラリーマンたちのいない皇居・清麻呂公園。平安時代の廷臣、和気清麻呂像が建つ小さな公園に毎週日曜日の朝8時、千代田走友会のメンバーが集まってくる。
 ラジオ体操で体をほぐした後、思い思いに皇居外周を走り出す。
 ジョギング同好会の先駆けの一つ、千代田走友会が結成されたのは1972年2月。千代田区駅伝大会に同じチームで出場した仲間20〜30人が集まった。会則もなく会費もない、全く自由な会。一時は300人メンバーがいた。
結成後、すぐに入会した夫を追走するように、妻も皇居を走り始めた。

 [ 夫 ]
 一人の若者の走る姿を見つめていた。72年新春の箱根駅伝。小田原から平塚を駆け抜ける七区に東京農大二年の長男、潤二が走っていた。
 親ばかではなく、必死の形相で走る息子の姿に純粋に胸打たれた。
 四十九歳。父ではなく、男として燃えるものがあった。
 前年の冬、スキーで足をねん挫し、 痛みが一年近くたっても引かなかった。
 息子の応援に一緒に行った知り合いの東農大OBに相談すると「走りなさい。すぐ治るから」と勧められた。そのOBが走友会の一心メンバーだった。
 息子のランニングシューズを借りて、走友会に加わったのはそれから間もなくだ。
 84年から91年までは走友会の会長を務めた。今でも会の最古参として皇居を走り続けている。

 [ 妻 ]
 夫に仕事以外の仲間が出来たようだ。随分、楽しそうに出かけていく。
 毎週日曜日は必ず皇居。あちこちのレースにも走りに行く。私もそれに付いていく。私の場合は、料理を作って、みんなに食べてもらうのが好きだから。
 でも待っているのは本当に退屈。夏は暑くて、冬は寒い。当たり前の季節だが、外でじっと待っていると、耐え難くなる。<自分も走ろうか>
 でも、女房が走るなんて恥ずかしい。(あのころは)レースでも女性の姿は殆ど見ることがない。
 夫が走り始めて一年ほどたった夏、ジョギングシューズを買った。”皇居デビュー”してみたかった。
 体慣らしに闇夜を選んで、江戸川区の自宅周辺をふだん着で走り出した。近所の人に見られないし、もし見られても散歩だとごまかせる。
 四十五歳の体育の日、初めて皇居を走った。皇居なら恥ずかしくない。トレーニングウエアを着込めるのがうれしかった。
 自己紹介した時の仲間の拍手・・・・。今でも仲間に会うのが楽しみで、皇居通いが欠かせない。

 [ 二人三脚 ]
 75年12月の関東10マイルロードレース(千葉県成田市)で初めて夫婦でレースに参加した。今でも年間10レース近く、必ず一緒に走る。夫婦一緒に出るともらえるペア・最高齢者賞を何度ももらった。
 結婚して五十年。今年金婚式を迎えた。
 人生五十年も過ぎると人は黄昏を迎えるという。
  そんなことはない。
  走ることで・・・・、夫婦円満。幸せを手に入れた。
読売新聞、読者相談室 新聞記事掲載了承済み