初詣ラン 2009/1/3 (木) 一覧へ戻る
下町徘徊組が担当して2回目になります。今年はいかにも下町と言う雰囲気の界隈を回りました。
去年の寒さで学習し今回は家庭用の敷き布団を4枚敷きました。だいぶ寒さをしのげました。
12時半頃には大学駅伝のゴールを見ようとする人達は早めに切り上げて日本橋へ向かいました。
 この日のために上野で良く会う、片桐さんからお酒2本

1.平将門(首塚)
2.柳森神社
3.金綱稲荷
4.鳥越神社
5.戦災電柱

6.誓教寺(せんきょうじ)
7.源空寺
8.下谷神社
9.宋雲院(そううんいん)

天候:晴れ(日陰でじっとしていると寒い)
距離:約15km
写真アルバム (79枚) ← (要合言葉)
宋雲院本堂前
淡路町付近通過 柳森神社(神田須田町)
ラジオ体操発祥の地(佐久間町公園) 金綱稲荷(神田和泉町)
鳥越神社 千貫神輿
誓教寺にある葛飾北斎の墓 源空寺 伊能忠敬の墓がある
下谷神社 拝殿天井に横山大観の絵がある 宋雲院(3年連続でお世話になる)
山本和尚 「平常心」について語る 寒いけど食べたり飲んだり
   
1. 平将門(首塚)[千代田区大手町]
平將門の首を祀っているとされるもの。東京都指定旧跡。伝承では、首は平安京まで送られ東の市・都大路で晒されたが、3日目に白光を放って夜空に舞い上がり故郷に向かって飛んでゆき、数カ所に落ちたとされる。
2.柳森神社 [神田須田町2-25-1]
室町時代に太田道灌公が江戸城の鬼門除けとしてこの辺りに柳の木をたくさん植えたことからこの名がついて、長禄2年(1458)に江戸の鎮守として祀られたそうです。
境内にはたぬきの像があって、「おたぬき様」と呼ばれているそうです。「たぬき」=「他抜き」とかけて、他に抜きんでるという意味から勝負事や立身出世、金運向上にご利益があるとされています。
このことからマラソンにも他を抜いて順位を上げるのにもご利益があるようです。
3.金綱稲荷 [千代田区神田泉町]
日本通運の前身である飛脚問屋京屋弥兵衛が、日頃から五穀豊穣・商売繁盛・衣食住の神・道中の安全の神として崇められていた伏見稲荷大社を信仰し参拝していましたが、浪速・京・江戸間の運送業務を始めるにあたり、自店に「御霊」を勧請しました。
ところがある夜の夢枕にご神霊が立ち「汝の篤信のためで、汝に黄金の綱を授けるものなり、ゆめゆめ疑うことなかれ」とのお告げから自店で奉祀している神様に「金綱」の名前をつけ、これが金綱稲荷大明神と称えるようになった由来である。
京屋の飛脚は道中における山賊や護摩の灰からの人災は皆無となりました。
私たちも日頃走っているので、今年も事故のないようにご祈願しましょう。
4.鳥越神社 [台東区鳥越]
鳥越は平安時代後期頃までは、白鳥村と称しており、此の村の小高く見晴らしの良い、白鳥山の山頂(現在地)に、白鳥明神として奉祀されました。
当時武名の高い源頼義・義家親子が武蔵の大川(旧宮戸川・隅田川)の河口を越えることに大変苦しみました。その時、一羽の白鳥が飛んできて、親子の目の前で川の浅瀬に下り立ち、そこならば、対岸に渡れる事を悟してくれました。そのおかげで、軍勢を無事対岸に渡すことに成功しました。八幡太郎義家公はこれ、白鳥明神の御加護であるにちがいないと、山頂の本社に参拝し、鳥越大明神の御社号を奉ったということであります。以後、鳥越神社と称されるようになりました。
5.戦災電柱 [台東区三筋一丁目]
昭和20年(1945)3月10日のアメリカ軍のB29爆撃機による東京大空襲の際、焼け野原になったこの周辺で、唯一焼け残った電柱です。
6.誓教寺(せんきょうじ)    [台東区元浅草4-6-9]
江戸後期の著名な浮世絵師で葛飾流の始祖、葛飾北斎の墓があるところです。
7.源空寺 [台東区東上野6-19-2]
伊能忠敬とその先生高橋至時の墓が並べてある。
1800年(55歳)、忠敬は江戸を出発。1815年2月19日最終測量地点の東京・八丁堀で忠敬はすべての測量を終えた。時に忠敬70歳。彼が15年以上かけて歩いた距離は実に4万キロもあった。
8. 下谷神社 [台東区東上野3-29 -8]
横山大観
古くは下谷稲荷社と呼ばれ、旧町名の稲荷町は、この神社があったことからついた町名である。社殿の天井画は横山大観の作。
また、1798年に初代・三笑亭可楽によって境内で初めて寄席が開かれた。このため、本神社には「寄席発祥の地」の石碑がある。
9.宋雲院[台東区東上野4-1-12]
山本住職の好意により、玄関先を借りて打ち上げをしました。
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